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2017年04月02日
CGパーソナルスタッフNEWS!

こんにちは!CGパーソナルです♪♪
木々もすっかり芽吹き、新緑の葉が茂る季節となりました。
いよいよ新学年がスタートします。みなさん春休みの勉強は順調でしょうか?
4月から新しい学校やクラスでの生活を実り多きものにしてください☆

〈今月の特集〉:春の風習(お花見花祭り)について

① お花見とは、主に桜の花を鑑賞し、春の訪れを寿ぐ日本古来の風習である。梅や桃の花で行われる。

~お花見の歴史~


日本の花見は奈良時代の貴族の行事が起源だといわれる。
奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜に代わってきた。
それは歌にも現れており、『万葉集』には桜を詠んだ歌が43首、梅を詠んだ歌が110首程度みられるが、10世紀初期の『古今和歌集』ではその数が逆転して桜が70首に対し梅が18首になっている。
「花」が桜の別称として使われ、女性の美貌が桜に例えられるようになるのもこの頃からである。

『日本後紀』には、嵯峨天皇が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催したとある。
時期的に花は桜が主役であったと思われ、これが記録に残る花見の初出と考えられている。
前年に嵯峨天皇は地主神社の桜を非常に気に入り、以降神社から毎年桜を献上させたといい、当時、桜の花見は貴族の間で急速に広まり、これが日本人の桜好きの原点と見られる。
831年(天長8年)からは宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられた。
その様子は『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にも描かれている。
また、『作庭記』にも「庭には花(桜)の木を植えるべし」とあり、平安時代において桜は庭作りの必需品となり、花見の名所である京都・東山もこのころ誕生したと考えられている。

鎌倉・室町時代には貴族の花見の風習が武士階級にも広がった。
吉田兼好は『徒然草』第137段で、身分のある人の花見と「片田舎の人」の花見の違いを説いている。
わざとらしい風流振りや騒がしい祝宴に対して冷ややかな視線であるが、ともあれ『徒然草』が書かれた鎌倉末期から室町初期の頃には既に地方でも花見の宴が催されていたことが窺える。

安土・桃山時代には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認される。
この時期の大規模な花見は、豊臣秀吉が行った吉野の花見(1594年(文禄3年))や醍醐の花見(1598年4月20日(慶長3年3月15日))がある。

『紙本著色醍醐花見図〈/六曲屏風〉』


花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代といわれる。
このころ桜の品種改良も盛んに行なわれた。
江戸で最も名高かった花見の名所が忍岡(しのぶがおか)で、南光坊天海大僧正(1536年(天文5年)? - 1643年(寛永20年))によって植えられた上野恩賜公園の桜である。
しかし格式の高い寛永寺で人々が浮かれ騒ぐことは許されていなかったため、1720年(享保5年)に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山に桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励した。
また、吉宗は生類憐れみの令以降途絶えていた鷹狩を復興させた際、鷹狩が農民の田畑を荒らす事への対応策として、鷹狩の場に桜の木を植えることで花見客が農民たちに収入をもたらす方策をとったとされている。
江戸の城下・近郊の花見の名所は上野寛永寺、飛鳥山、隅田川堤の他にも、御殿山 (品川区)、愛宕山、玉川上水など少なからずあった。
この時期の花見を題材にした落語としては、『長屋の花見』や『あたま山』、飛鳥山の花見を想定して作られた『花見の仇討(あだうち)』などがある。

明治に入ると桜が植えられていた庭園や大名屋敷は次々と取り壊されて桜も焚き木とされ、江戸時代に改良された多くの品種も絶滅の危機に瀕したが、駒込の植木職人・高木孫右衛門はこれを集めて自宅の庭に移植して84の品種を守り、1886年には荒川堤の桜並木造成に協力し、1910年には花見の新名所として定着。
78種が植栽された荒川の桜は各地の研究施設に移植されて品種の保存が行なわれ、全国へ広がった(1912年には、日米友好の印として荒川の桜の苗木3000本が東京市(現在の東京都)からワシントンに贈られポトマック川畔に植栽された)

 

② 花祭りとは灌仏会(かんぶつえ)の通称であり、お釈迦様の誕生を祝う仏教行事である。
日本では原則として毎年4月8日に行われる。

~花祭りの起源と歴史~

インド・西域で行われていた、行道と呼ばれる仏像や仏塔の周りを回りながら恭しく礼拝する供犠や、行像と呼ばれる輿に仏像など信仰対象を載せ、華美な行列を組んで寺の外を練り歩く行事が、中国を経由して日本に入ってきて現在の形になったと考えられる。
記録上、国内で最も古い仏生会は奈良県法隆寺の聖霊会(しょうりょうえ)で、行道面と呼ばれる仮面を被った人々に導かれた行列が、仏舎利と聖徳太子像を載せた輿を東院から西院に移し、管弦と舞楽を奉じた後に元に戻す法会だった。

明治時代のグレゴリオ暦導入後、4月8日は関東地方以西で桜が満開する時期である事から浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。

民間ではこの時期に農事や山野での活動時期を迎え、明治以前から春季到来を祝す飲食や遊興の行事や、東日本では農事を忌む休日、山の神を祀る祭礼、山開きが、西日本では花立て、卯月年忌と称される墓参や施餓鬼が、卯月八日として4月8日に行われている。
これら祖先神で農事神でもある山の神を祀る際、花が一種の依代として用いられることから、花で神や祖先を祀る民間習俗に仏教行事の灌仏会が習合して「花まつり」になったとする解釈もある。

~花祭りの風習~

〈灌仏会(花祭り)の花御堂と誕生仏〉

花祭りで執り行う法要が「灌仏会法要」である。
中国では、北魏の『洛陽伽藍記』巻1の長秋寺の条に、境内に三重塔があり、そこには白象に乗った釈迦が空中を飛行する像が荘厳されていた。
ここでは毎年4月4日の降誕会に、その像を輿して都中を練行する行事が行なわれていたとある。
その行事の際には、さまざまな奇術が大盛況の様を呈したという。
また、同書同巻の昭儀尼寺の条では、毎年4月7日の降誕会で、当寺の本尊と脇侍の2菩薩ともの三尊像が都中を練行して景明寺に赴き、それを景明寺の三尊が出迎える儀式が挙行されていた。
その際の芸能音曲の賑わいは、長秋寺の法会に匹敵するものであったという記述も見られる。
さらに、巻3、景明寺の条には、4月7日の昭儀尼寺の練行に続いて、4月8日に、練行の仏像が宮殿の前で皇帝の散華を受け、出し物は最高潮に達し、僧衆や信者が参集したとある。

日本では、様々な草花で飾った花御堂の中で、甘茶を満たした灌仏桶の中央へ安置した誕生仏像に柄杓で甘茶を掛けて祝うが、釈迦生誕時に産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する。
釈迦を本仏としない日蓮正宗等を除く大多数の寺院で執り行われて参拝者にも甘茶がふるまわれ、甘茶で習字すれば上達するとの願掛けや害虫除けのまじないを作るなどする。

扱いを誤り使用不能に陥る状況を「お釈迦」とする表現は、炙り過ぎで鈍った金物を「火が強かった = しがつよかった」→「四月八日だ = しがつようかだ」→「釈迦の誕生日 = しゃかのたんじょうび」と江戸言葉で訛らせた江戸鍛冶職人の隠語とも巷間される。※諸説あり。

韓国では、旧暦4月8日に明かりを灯して仏に福を祈る燃灯会を行う。

花粉症シーズン真っ只中ではありますが、外に出かけて日本文化であるお花見や花祭りに参加してはいかがでしょうか?

 

《バックナンバー》
☆ 2017年3月〔桜前線について〕
☆ 2017年2月〔健康的な食生活と脳の活性化〕
☆ 2017年1月〔七草粥について〕
☆ 2016年12月〔アルコール消毒・保湿の効果〕
☆ 2016年11月〔寒い朝でもスッキリ起きる方法〕
☆ 2016年10月〔体育の日について〕
☆ 2016年9月〔お月見について〕
☆ 2016年8月〔夏の野菜について〕
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☆ 2016年6月〔梅について〕
☆ 2016年5月〔母の日の由来〕
☆ 2016年4月〔呼吸と心理状態の関係性〕
☆ 2016年3月〔卒業ソングについて〕
☆ 2016年2月〔朝スッキリ目覚めるための工夫〕
☆ 2016年1月〔風邪予防について〕
☆ 2015年12月〔イルミネーションについて〕
☆ 2015年11月〔紅葉について〕
☆ 2015年10月〔芥川賞と直木賞〕
☆ 2015年9月〔防災対策に役立つ情報〕
☆ 2015年8月〔自由研究にも役立つトピックス〕
☆ 2015年7月〔熱中症について〕
☆ 2015年6月〔梅雨について〕
☆ 2015年5月〔ゴールデンウィークについて〕
☆ 2015年4月〔花粉症について〕

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