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おまもりナビ

2021年10月6日 カテゴリー:子育て未分類

諦念に至る

みなさん、こんにちは。

昨日、久しぶりに「G(黒いテカテカしたやつ)」を撃退し

少し自信を身に付けました、おぜんべい大好きママです。

動きも鈍かったし、一撃で動かなくなったし

体も小さかったから、きっと偵察用に送り込まれた若いヤツだったんだろうな・・・

帰ってこなくなって、「この家はまずい」と本隊は諦めただろうな・・・フフフ

と、勝利の余韻に浸っております。

さて、「諦め」といえば

息子が勉強しなかったり

自分の食べたお昼の食器やお弁当箱を洗っていなかったり

畳んである洗濯物が丸1日経ってもタンスにしまわれなかったり

つまり、「約束したことがされていない」状況でも私は

「・・・うん。」

と、スルーできるようになってきました。

しかし、その一方で

「これは、しっかり怒るべき?このまま大人になったら周りを困らせる?」と、モヤモヤしていたのです。

そんな中、今日、一つの言葉に出会いました。

「諦念(ていねん)」

仏教の言葉で、「真理を悟り、迷いを去った境地に達すること」「あきらめの境地に達すること」という意味です。ただし、「あきらめの境地に達すること」の意味は、「見込みがないと断念する」という意味の「あきらめる」ではないのです。仏教的には、「諦念」は、「迷いの去った境地」を表します。

私は、息子が出来ていないことを指摘しない自分に対して、息子の成長を「あきらめ」、「親の責任を放棄した」ように感じて、モヤモヤしていたのだと気付きました。

しかし、どちらかと言うと「ここから先は本人の意志、行動する力の問題だ」という気持ちが大きく、その意味で「迷いが去った」という表現がしっくりきました。

きっと本人もやるべきことだということはわかっているし

言わなくてもやるときもあるし、何なら言われた以上のことをやっているときもある。

違う人間なのだから、「私がやって欲しいタイミング」と「息子のやりたいタイミング」が合わないことはあるし、それを一方的に「やりなさい」と強制することのほうが、しっくりこないな、と思うのです。

自分の心のうちを言葉で表現しただけで、くっきりと心の有り様が見え、秋晴れのようなすっきりした気持ちになりました。

・・・まあ、42歳ということで

大きな声で怒ること自体、体力が消耗するというのも、あるんですけどね・・・

それでは。

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